死なないためのヒキコモリ日記

ヒキコモリ生活中心に何でも書いてしまえ的な日記。死なないために綴るのだ

教訓なき名言集

 

この粋な希望のおかげで、わたしの孤独も華やぐのである。

               --- J.L.ボルヘス『バベルの図書館』

 

 私は昔から名言・格言というやつが好きで、中学の時分にはオリジナルの名言集なんかを密かに作っていた。もちろんオリジナルというのは名言集のことであって、名言を勝手に考えていたわけぢゃないですよ。別に誰に見せるというのでもなく、ただ自分だけのひそかな楽しみだった。すでに紛失してしまったのが惜しまれるけれど、覚えているのは、たとえばゲーテ「光が多いところでは、影も強くなる」やシェイクスピア「輝くもの、必ずしも金ならず」だったり。まあいかにも名言っぽい、といったら失礼だが、少なくとも世間に「名言」として認められているような言葉を集めていた。それがなんだかとても高尚なことに思えたのだ。

 ところがある時、ふとこんなことを考えてしまった。

 

 

こんなもの知っていたところで一体なんになるというのか? 

 

 

 私はその自問に答えることができなかった。ただ知っているというだけで、ちょっといい気になっていただけじゃないの?別に人生の指針になっているわけでもなし。すなわち自己満足。それに気づいた時から私の名言に対する関心は薄れていってしまったようで、高校生活も半ばになると、反対に名言というものを上記の理由で無意味で無価値なものと位置づけるようになってしまっていた。高校生らしい驕りといったらそうかもしれない。スカしていたといったらいいか(誰に対して?笑)。ただ名言・格言に対するそういった不信感があったことは確かで、それは古典文法や微積分に対するのと似ていた。ようするに私自身がそこに価値を見出せなかったのだ。浅はかさ。それだ。高校生ってそんなもの。

 

 そんな浅はかな私だったけれど、大学二回生の頃になると再び名言の魅力に惹かれはじめた。名言というか、小説や映画にでてくる台詞や言い回しにだけれど。それらをたまあにメモ帳に書き留めるようにしていた。特にきっかけがあったわけではない。また例の疑問に答えられるようになったわけでもなかった。そんなもの知っていたところで一体なんになるというのか?私は思い切って心の中でこう断じてみた。

 

だってなんだかカッコイイから!

 

直球。(それこそ浅はか?笑)。ちょっと自分に素直になれた気がした。好きなものは好きなのだ。理由なんざいらないさ。それでもやっぱり「何の役に立つの?」という思いは心のどこかにあった。それは大好きな小説や映画そのものに対しても同じであった。そんなもの読んで・観てなんの意味があるの?私はいつもそんなことばかり考える。省みれば私がいつまでも前に進めない原因はそこにあるように思う。学ぶ理由。働く理由。生きる理由..........。我に理由を!理由を知りたければ流れに身を投じよ!己の存在意義というのは、社会に主体的に参加することによってのみ見出せるものらしい。なぜなら「人間は自由の刑に処せられている」(サルトル実存主義とは何か』)からなんだって。実存主義とはヒューマニズムである(使い方あってる?)。私にはそれがわからなかった。河岸に這い上がり、じっと動かず考えるフリをしていた。そうしているうちに川は流れに流れて、ついに私は帰属すべき社会を見失った。ああ、やはり私は浅はかであった。果して浅はかである乎?然り、浅はかである。浅はか以外のこれなにものでもないのである(とか言ってみる)。すなわちひきこもりである。

 それでも好きなものはやっぱり好きなままで、相変わらず映画や小説は私にとって大きな魅力であり続ける。そこで紡がれる言葉も大好きだ。好きに理由はいらない。でも理由があればもっと好きになれる気がする。昨夜私は思い至った。そういうこともブログに書いたらいいじゃないか!考える素材としての趣味。それがひとつの目的になって、私が映画や小説から素敵な言葉を拾いあげることにも意義が生まれるのじゃないか。 んー、そんなうまくいくかしら?

ほら!また立ち止まろうとしている。いいからやるのだ!

 そんなわけで「教訓なき名言集」と題して、これから気がむいたら言葉(名言)を題材になにかしら書いていくことにしました。私がピックアップしていく言葉には、たぶんそれだけでは基本的になんの意味もない。すなわち教訓がない。本を読んでいて、あるいは映画を観ていて、おっ、なんかいいな、となんとなく私が思った言葉に過ぎないからだ。そんな曖昧なものを好きでいるために、私自身がそれに意義を与える。そんな試み。

 

 

ちょっと不安なのは、いつものように気分が滅入っているとき、そんな時はいろいろなことがアホらしく思えてくる。このブログにしたって、今朝起きたときにはもはや何の魅力も感じていなかった。どうでもいいと思った。私がこれから少しでも善く生きていくためには、毎朝私の枕元に立ち現れるネガティブ・ゴーストと戦っていかなければならない。ブログなんか続けてなんになるの?これからも目を覚ますたび、その疑問が頭をもたげるだろう。

そのたびに私はこう答えることにしよう。

 

 この粋な希望(ブログ)のおかげで、わたしの孤独も華やぐかもしれないから

 

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

 

 ちなみに「バベルの図書館」は103ページから。一応ことわっておくと、私が書いた内容と同書の内容はまったく関係のないものだ。少し内容に沿うようなことも言ってみよう。

------私の生きる意味というものもすでに、無数の六角形のひとつの五段の棚の三十冊中に存在しているだろうか。もしそうだとするなら、それは私にとって希望である------。

 ヘンテコですね。実際はもっと意味論的な示唆に富んだ内容になっている、はずだ。これは私の愛読書、というほどでもないが、ときどき声に出して読みたくなる。鼓直氏の翻訳が軽やかなのもあってか、音読していて非常に心地がよい。去年一年間を振り返ってみると、人との会話よりも「バベルの図書館」による発話数のほうが圧倒的に多いに違いない。んー、これは決してよいことではない。「バベルの図書館」はよいものだから、興味を持たれた方は是非是非読んでみてくださいね。

 

 

今週のお題「私がブログを書く理由」

                        ちょっと趣旨はちがったかも...